2009年から始まった姫路城の大修理がクライマックスを迎えようとしている。日本初の世界文化遺産を建築当時の姿に甦らせる巨大プロジェクトの舞台裏に迫った。
鉄骨が取り囲む大空間に、ニョッキリと突き出た大天守最上部の五重屋根。普段近づくことのできない場所から見ると、スケールの大きさに圧倒される。
優雅に反る入母屋破風(いりもやはふ)。約1.9mもの鯱瓦に、アゲハチョウを表わした隅鬼瓦。鉄骨の間から陽の光が降り注ぎ、塗り直された漆喰の白さが鮮やかに輝く。
「全面葺き替えた瓦は、今回製作した瓦、『昭和の大修理』で製作した瓦、それ以前の瓦と、400年の時を超えて混ざり合っていることになります」(鹿島建設・野崎信雄総合所長)。
大天守は、徳川家康の娘婿、池田輝政によって慶長14年(1609)に築かれた。五層六階、地下一階からなり、高さは46.35m。難攻不落の名城に偽りはなく、外壁や屋根に近づくのは容易でない。
昭和31~39年に行なわれた「昭和の大修理」は、傾いていた大天守を全面解体して再構築し、のべ25万人が従事するという未曽有の規模だった。今回は、それから実に45年ぶりとなる。
国宝ですから傷ひとつ付けてはいけない。小さな失敗も許されない。設計図はありましたが、工事前には光波測量機でより正確に実測し、立体的なアニメーションやCADツールで作業の検証を重ねるなど、最新技術を駆使しました。それでも工事中に、鉄骨が大天守に当たってしまう箇所が1か所見つかり、最善の対策を考える日々が続きました」(野崎総合所長)
鳶職が組んだ足場から、鉄骨が大天守に最も接近する場所を覗いてみると驚く。屋根瓦と鉄骨の隙間を測ると20cmしかないのだ。その先の隅鬼瓦との間はわずか10cmというから、クレーン操作の神業である。地面に柱の設置場所が確保できず、宙に浮いたまま屋根を支えるという信じがたい作業を強いられた。
こういう構造物のCAD図面っていうのも作ってみたいものです。壮大な感じがします。